2013年9月5日木曜日

呼吸する、家と住み手


7月にアトリエデフさんの「循環の家」と「木漏れ日の家」で開催した
 「サンダルづくりとかまどごはん!」
 天気にも恵まれて、とても楽しく伸び伸びとサンダルをつくることができました。
参加者の皆さんは、家族で参加してくれたり、姉妹や親子で参加してくれたり、恋人や友人とだったり、
きっと誘ったり誘われたり、ここに来るまでにもいろんな道やお話があったんだろう、と
みんなに当日会った瞬間から、その胸を膨らませているワクワクした気持ちを感じることができました。


 
 家を建てる仕事と、靴を作る仕事はとても似ていて、
日常という日々の中に埋もれている足もとに在るモノだと思います。
人に見せびらかすモノではないし、
大事に飾っておくモノでもなくて
時と手が加わっていく、有機的な反応が返ってくるモノ。

暮らしに寄り添うモノ、という表現はあまり納得がいかなくて、
モノに人が寄り添い手を加え続けることで
それは思いがけない返事、メッセージを送ってくれる。


アトリエデフさんの家には
たくさんの人が出入りし、手が添えられてきた手沢と呼ぶに相応しい証が
ところどころに発見できました。真新しいモノよりも美しくて温かい。
毎日の賑やかで真剣なアトリエデフの営みを
支え、見守っている“家”でのサンダル作りは本当に楽しい時間でした。
なぜか疲れなくて、逆に手足が触れるこの家と、時間経つほど馴染んでいく、
一体化していく感じがする、こんな体験は初めてでした。

家のなかに入ると、誰でもホストとゲストどちらかに演じて、
いつもそこには両者の気遣いのある交際がある。
この家たちは、その温かな相互の気を毎日呼吸してきたんだろうなぁと
アトリエデフの木漏れ日の家、循環の家をみて思いました。


靴と家で決定的に違うのは
様々な人が使うということ。
みんなの家、家はみんなのもの。
そんな当たり前のことを
改めてデフさんに教わった気がします。


僕はいま、借家に住んでいます。
まだ築10数年の比較的新しい家だけど
僕で5代目の住人になるそうです。
これまできっとあまり愛されてなかったんだろうなと
思ってしまうほど、最初家が淀んでいたのは
一時の借りモノという、最低限の手しか加えない扱い方のせいかもしれません。
可哀想な家、と妻がつぶやくように。
妻はいつも口よりも手を動かして、せっせと働く人。
暮らしを、それを映す家を大事にしてくれる妻にいつも感謝しています。

住む。という本に書かれている言葉を紹介します。
 一軒の家が出来上がる。住まいはそこから始まります。家は、そこから長い一生を開始するのです。家は、愛着をこめて手をかけてやると、不思議と応えてくれます。そして、だんだんと住まい手に馴染んでいくのです。住まいは完成しません。それは住み手が育てるものです。